《第3章:サラクサク》
 
 
 
 
 
 
 
15)サラクサク峠

「サラクサク峠の戦闘って、バレテ峠とはまた違うんですか?」と、その時まで地図で確かめることもしないで質問していたのでしたが、
 「両方で戦ってたんだよ、バレテが突破されないようにね。アメリカが北になだれ込んできたらおしまいだからね。サラクサクはバレテの西の方に伸びた尾根にあるんだ」と、ウハチさんはいつもていねいに説明してくれます。

補給基地は最初は南の方にあったのですが、1月9日のリンガエン湾からのアメリカ軍上陸後、どんどん北の山岳地帯に追い込まれて行きました。輜重隊(しちょうたい)も戦況が変わる度に弾薬や燃料や食糧の集積所を北に移動しなければなりませんでした。その輸送ルートの要(かなめ)がバレテ峠だったのです。しかしすでにリンガエン湾には空母や戦艦などが何百隻も配備されていましたし、規模も性能も格段にすぐれた長距離砲が常にバレテ峠に向かって砲弾を打ち込んできたそうです。

「バレテ峠を超えるあたりは南側がスッパリ切れている断崖なんだよ。だから敵から丸見えなんだ。こっちは荷台に燃料とか弾薬を積んでいるんだからね、当たればひとたまりもない。先頭のトラックがやられると、すぐ道の脇にある塹壕(ざんごう)に飛び込んで隠れるんだ。それから砲弾の落ちる合間をぬって車を谷底に落としてからまた前進したんだよ。あんときゃあほんとに凄まじかったな」
連日連夜10日間かけて、やっと輜重隊は緊急輸送をやり遂げたのだそうです。終戦の年の2月のことです。

 「おれたちの師団はもう山岳歩兵隊になっちゃってたんだね。山の上に幾つも陣地を作って、それぞれが孤立して戦っていたんだよ。持久戦のかまえだったんだ。だからおれたちが運び上げる弾薬と米だけが頼りでね、ずいぶんありがたがられたもんだよ」

バレテ峠が5月9日には突破された後は、サラクサク峠にいた部隊は昼も夜も砲撃にさらされ続けたそうです。


 

16)脱出
17)体に刺さった鉄片
18)接近戦

「そのときの破片がおれの体にはまだ入ってるんだよ」
「どこに?」と、ちょっと得意そうな顔して縁側に座っているウハチさんの胸から足元までわたしは見回しました。
「大きいのはアメリカ軍の病院でとってくれたんだけど、小さくて完全に取りきれなかったのが腰のあたりにあるんだよ」
「そのまま放っておいて痛くないんですか?」
「梅雨時になるとどうしても痛くなるね」と、腰の横に手を当ててさすってみせました。
「慶応病院に専門の先生がいてね、いろいろ診てくれたんだけど、結局これしかないという特別な注射を打ってもらってるんだよ。背中のここらへんに打つんだけど、それが太い注射でね、そりゃあとっても痛いんだよ。でもそれをやればひと月楽になると思うから我慢するんだ。でもその注射は月に1回しか打っちゃいけないものなんだってさ」

こういう話しを聞いていると、わたしはどうしても顔が歪んでしまいます。そうするとますます調子に乗ってくるところが、ウハチさんのやんちゃなところでもありました。ニヤッと、もっとおもしろいことを聞かせてやろうかというように、
「捕虜収容所から出されてアメリカ軍で働き始めた頃にね、『どうも息が苦しい』と言ったら、同僚のアメリカ兵が『軍医に診てもらえよ』と言うので軍病院に行ったのさ。そしたら肺に刺さっている破片が見つかったんだよ。でももうすっかり肺にめりこんじゃってて、これを手術で取り除くのは無理だと言うんだ。でも放っておいたら生きられないってね」

自分でけがをした傷口を見ても心細くなってしまうのに、その話しを聞いているときのわたしの顔はきっと青ざめていたと思います。でも聞かずにはいれない、
「で、どうしたんですか?」目の前にウハチさんが生きているということは、その時何とかしたのでしょうから。
「軍医が変わった人でね、『おまえが承諾すればやってみたいアイデアがあるんだが』って言うから、仕方がないから『何でもやってくれ』って言ったよ」

そのアイデアというのは、強力な磁石を使って少しづつ破片を外に引っ張り出すというものでした。
「床に固定した椅子に座らされたんだよ。背当ての方を向いて椅子に股がってね、背当てと胸を紐でぐるぐる巻きに固定された。ぜんぜん身動きができないんだ。それから磁石の機械を少しづづ様子を見ながら限界の距離まで背中に近づけるんだよ。すると体の中でその鉄片がほんの少しだけど動くんだね。そりゃ痛いなんてもんじゃない。そういうのを毎日毎日数時間、まるで拷問だったよ」

何ヶ月も続いたこの治療は、ミリ以下の単位で肺の中の鉄片は背中の方へ少しずつ移動させるというものでした。治療に使われた大掛かりな機械も、わざわざその為だけに作られたものだったそうです。その異様で画期的な治療方法を見るために、方々から視察団が見学にきたそうです。

「ずいぶん偉い人たちが見に来てたらしいよ。おれはただ唸ってたんだけどね」
わたしはもう聞いているのがやっとでした。この日はすっかり気持ち悪くなってしまいました。

その鉄片は、肺から引き出されて手術し易い場所まで移動されてから取り除かれたそうです。アメリカ軍と殺し合いをしたウハチさんなのに、そのアメリカ軍に今度は苦しめられながらも助けられたのでした。

「それでもおれは砲弾の破片を受けただけで助かったんだからね。生きて帰れたこと自体ががめずらしいんだよ。敵に包囲されている陣地の荷揚げなんかだと、3人で出かけて帰りは2人になっちゃう」
「つまり一人は途中で死んだんですか?」
「そうだよ。荷揚げのルートにも砲弾が打ち込まれていたし、最前線の陣地なんかには近づくことだってほんとは無理なんだ。アメリカ兵の見張りが近くでうろうろしてるのが見えるんだもの」
「そんなに接近して戦っていたんですか?」
「手榴弾の投げ合いとか、銃剣突入とか毎日だよ。工兵隊なんかは坑道作戦をやってたんだ。敵陣のすぐそばまで穴を掘っていって、一挙に爆破するというやり方だよ」
同じことをアメリカ軍もやっていたそうですが、それを察知して相手より先に掘り進むのです。音を立てずに息を殺して暗い穴蔵に入っている兵隊たちの姿が浮かんできました。

「でもそんな所にいつまでもいたらみんな死んでしまうじゃないですか。撤退命令というのはぎりぎりまで出ないものなんですか?」
「そりゃそうさ。司令部の考えは、前進基地とはまた違うんだよ。逃げ場を失ってしまって玉砕した陣地もあるんだ」戦闘が激しくなればなるほどありそうなことです。

 

危機的な状況の中で、司令部はいろいろと焦ってはいたようです。急に現場の指揮官が後方の司令部に呼び戻されたり、反対に自ら司令部に戻ってしまう指揮官もいました。そういう指揮官に対しては、懲罰としてさらに危険な戦闘地域に配置換えされたりしたということです。
 

19)命令

「もうどの部隊も半分は死んじゃってたからね、兵隊が少なくなった部隊は他の部隊に編入されたりしたんだよ。」

サラクサク峠では、戦車隊や航空隊の生き残りの兵隊たちが歩兵部隊に編入されて戦っていました。そういう兵隊たちは、決まって最前線の陣地に配備されたそうです。そこでは直属の上官が替わるということは、死に近づくということに繋がっていました。

「やっぱり満州からずっといっしょに戦ってきた仲間の方が安心だし、チームワークだって良いんだよ。それに隊長だって最初っから自分の部下だった兵隊を大事に残しておこうとするわけさ。だから命令にも差を付けちゃうんだよ」そんな凄まじい状況ではないにしても、自分にも過去似たようなことがあったなあと思いながら聞いていました。
「そういうことって学校とか会社なんかにもありそうなことですねえ」
「そうだよ、会社だって同じだよ。上司が直属の部下ばかり可愛いがったりしてるけどね、生きるか死ぬかって時にそんなことしてたら判断を誤っちゃうよ。そんなやつには良い仕事はできないよね」と、切り捨てるように言いました。ウハチさんは戦争に行く前も帰ってからもずっと東電の社員でもあったのですが、きっと会社でも苦い思いをしたことがあるのでしょう。

「おれが何度も斬り込みさせられたのは、それまでずっといっしょだった隊長がいなくなってからだよ」と、その頃の上官や隊員の名前をいちいち挙げながら話してくれたのです。ウハチさんたちが本隊から離れてしまって、密林の中を6人ほどで転進している時のことです。軍隊の中では一人一人の階級が厳密に決められていて、いちばん上の人がいなくなれば、すぐ次の階級の人が命令権を持つのです。

「斬り込みったって、もうあの頃じゃ大して意味はなかったはずなのに、とにかく行ってこいだからね。死んでこいと言ってるようなもんだ」と、今でもまだそうとうに恨めしそうなのでした。もうその頃になると、司令部との連絡が途絶えてどの部隊もバラバラに分断されてしまっていたのです。孤立した小さな部隊の中での命令の中身は、隊長の人格によってずいぶん左右されたということのようです。

20)撃兵団

ウハチさんがよく口にした『ゲキ』ですが、その音には誇らしさといっしょに、懐かしさのような響きも伝わってきました。


戦争に負けたことや上官への恨みとは関係なく、ウハチさんの気持ちにいつまでも残り続けていたものが何なのか、それを考えながら聞いてもいたのです。砲弾を受けて死んでいたかもしれないし、飢えで生き延びれなかったかもしれない戦争の記憶が、どうしてあのように熱く語られたのかとふしぎに思います。それにウハチさんの話には、恐ろしさはあっても暗いものはあまり感じませんでした。

「その『ゲキ』っていうのは、どこの部隊のことですか?」
「おれたちの師団のことだよ。撃兵団って呼んでいたんだ」それは戦車第二師団の秘匿通称名でした。それぞれの兵団に付けられた名前は、いかにも勇ましい漢字が当てられています。

他にもルソン島には、「駿」「盟」「旭」「勤」「鉄」「虎」など10以上の兵団や師団が配備されていたそうです。その中でも撃兵団は満州で特別に訓練された精鋭部隊だったのです。
総人員9403人に、戦車220両、1500台のトラックに火砲や速射砲などを積んで移動しながら戦う撃兵団は、それまでとは違う戦い方ができるはずだと大いに期待されていたそうです。

ところが撃兵団が到着する前からすでにルソン島では飢えが始まっていました。食料不足と戦局の悪化から、戦線離脱する将校まで出ていたそうです。航空隊司令官が飛行機で逃げた話まであります。かわいそうに、残された航空兵たちは前線に送られてほとんど戦死しています。上官の代わりに懲罰を受けたようなものです。そんなところに撃兵団は入って行ったのです。

「レイテ沖海戦もちょうどその頃ですよね」と、思い出したように夫が聞きました。
「そうなんだよ。あの頃レイテもガダルカナルも負け始めていたんだね」と、他人事のように言っているウハチさんでした。そりゃそうです、実際の戦場にいる一兵卒にとって、まわりの戦況など知る由もありません。上層部の一部の人たちが戦局を分析して戦略を練っていたはずなのですから。

地図を見てみると、レイテはルソン島のすぐ南にあって、とても近いのです。ルソン島の戦死者が8割を超えているのは、戦闘の激しさもありますが、飢えで亡くなった兵隊も多かったのでした。

21)ナタデココ

ウハチさんはいつも門の所で声をかけてから庭に入ってきます。縁側から顔を出すと、ちょうど犬が駆け寄って行くところでした。そばまで近づいた犬はウハチさんの手のあたりに向かって、ぴょんぴょんと跳ねています。手の中ものが自分のために持ってきてくれた食べ物 だと思っているのでしょう。
「あんたたち、こういうの食べたことあるかい?」と差し出されたものは缶詰でした。

「いえ、食べたことはないです」
「ナタデココ、フィリピンではこれをよく食べたんだよ。この頃流行っててね、懐かしいから時々買ってくるんだ。半分っこしようと思って持ってきたんだけど、おれの分はもう分けてあるからこのまま冷蔵庫で冷やして」缶切りで開けてあるフタの隙間から見ると、白っぽい角切りの寒天のようなものが見えました。すぐに冷蔵庫に入れに行って戻ると、もうウハチさんは縁側に腰掛けて犬を撫でていました。

「今日はおまえには持ってこなかったよ。また今度な」と話しかけています。犬もウハチさんの飼い犬のようにべったり足元に寄り添って寝そべっています。犬はすぐになついたのですが、ウハチさんの方はこうなるまでに少し時間がかかりました。

「おれは犬が好きなんだよ」と言うわりには、犬が手に残っている肉の臭いを嗅いだり舐めようとすると、慌てて手を後ろに引っ込めていたのです。もっともいつもさっぱりとしたシャツやズボンを着ていて一人暮らしとは思えない清潔な身なりをしていた人でしたから、犬の唾が付いたりするのを不潔と思ってもふしぎではないのですが、多すぎるほどの生肉を犬に与えている様子とは矛盾しているように感じたのです。

そんな様子を眺めながら、もしかしたらこの人には何かの理由で、肌と肌が触れ合うようなことをいやがる肉体嫌悪のようなものがあるのではないか?と考えたりもしたのですが、それも時間とともに変わって行きました。しかも極端なことに、
「この犬は他の犬とは違う、特別だ」とまで言うようになったのです。そして近所の犬に噛まれた時のことを話してくれました。
「ほんとうに強い犬は滅多に吠えないものなんだ。やたらに吠える犬は弱い犬で、脅えて怖いから吠えるんだ」犬には一定の鑑識眼を持っていると自負するのでした。


 

「すぐに、どの部隊も夜しか行動できなくなってたんだよ。しょっちゅう空母から飛行機が飛んできてたからね、みんな『こっちにも一機でも飛行機があればなあ』って言ってたもんだ」
 空からの攻撃を常に警戒しながら、地上ではゲリラや探知機にびくびくしながら行動したそうです。

日が沈んでから夜明けまでが活動時間だったのです。戦車やトラックも、昼間は竹やぶの中に突っ込んだり、マンゴーの巨木の下に隠してありました。山のあちこちの陣地で戦っている兵隊たちも昼間は横穴の中に隠れていて、夜になったらまた砲台を据え付けて砲撃を開始するという戦い方でした。

「飯も簡単に炊けないんだよ。煙が上っていると爆撃の目標にされちゃうからね、月夜もだめだったね。それでやられた陣地もあったんだ」
「じゃあ食べ物はどうしてたんですか?」
「夜に炊いたり、煙を散らしたり、とにかく気を抜くことはできなかった。敵に包囲されている陣地には三日も四日も食糧を運べなくて、守っている方も必死だけど、届ける方だって命がけだよ」敵の真正面で戦っているのに、弾薬の補給よりも食糧の方が足りなかったという悲惨な状況だったのです。
「やっと届いた籾米を鉄兜の中で棒で突いて殻を取り除いて炊くんだ。炊くことができないときは、そのまま米をかじることだってあったんだよ」

サラクサク峠から2キロほど東に下った所に輜重隊(しちょうたい)のイムガン集積所がありました。弾薬、食糧が置いてあるのです。もちろん樹木の生い茂る場所ではあったのですが、ある日そこにも敵の偵察隊がやってきたのです。しかし、手榴弾を投げるだけであっさり引き揚げて行ったのを怪しんだミヤニシ中隊長は、自分の判断でその日のうちの撤退を決意します。司令部の命令がない限り後方に下がるということはできないらしいのです。

「あれは危機一髪だった。ミヤニシ中隊長がすぐに脱出しようと決めたからよかったけどね。輜重隊は夜に動いていたから、みんなが帰ってくるまでに時間がかかったんだよ。全員が戻ってきたのが12時で、やっと準備ができたのが3時だった。でもその頃になると砲弾が撃ち込まれ始めたんだよね、それでもぐずぐずしてると明るくなっちゃうから、とにかく出発したんだ。道なんかないところを小さな隊に分かれて行ったんだけど、途中で夜が明けてしまった。じっと山の草むらに伏せて隠れたんだけど、それから敵機が何十機も飛んできて、集積所があった山ぜんぶがあっという間に焼け野原になったんだ。危機一髪だったよ。」

その時の脱出を指揮した宮西中隊長の手記が残っていました。そこには、夜明けと同時に40機ほどが焼夷弾を落とし、その後20機ほどで爆弾投下、さらに10機くらいで銃撃をしたそうです。ジャングルだったところが、わずか1時間ですっかり焼け野原に電柱が立ち並んでいるような風景になったそうです。5月26日の早朝のことでした。

これと同じ日、サラクサク峠の他の陣地でもたくさんの戦死者を出しながら撤退していきました。負傷兵を助けながら、さらに北へ転進を続けます。


 

となりの戦車隊長/バレテ峠と同じ夏

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